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  • 2017.09.19

    言葉の筋トレ23 Wir sehen nur, was wir wissen.  我々は知っているものしか目に入らない。

    言葉の筋トレ 石井弘之

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第23回

Wir sehen nur, was wir wissen.  我々は知っているものしか目に入らない。

Johann Wolfgang von Goethe
(この言葉は東棟2階にあります)

 
 夏休みにドイツ・オーストリアを訪れた。アルザス校勤務を終え、本帰国してから17年ぶりのヨーロッパである。赴任中にドイツは何度も訪れたが、オーストリアは初めてである。今回の旅は、ビール・山歩き・ウィーンフィルというのが主な目的だった。
 そこで個人的なノリで申し訳ないのだが、ドイツ語の名言を取り上げることにした。新校舎の壁にドイツ語で刻まれているのは、3人の偉人の言葉だ。3回連続で紹介しよう。
 今回はゲーテ。
 「ギヨエテとは俺のことかとゲーテいい」という川柳がある。ドイツの詩人Goetheをカタカナ表記するときの書き方が非常にたくさんあるので、それを詠んだものだ。ドイツ語的な発音ではゲーテ、英語的な発音ではギョエテとなるらしい。他にもゴエテ、ゴーツ、ゴアタなど20種近くあるらしい。そもそも音の種類の違う言語どうしで正確に書き表すこと自体が無理なのだろうが、本人が自分を言い表していた音に一番近い表記であるべきだろう。
 ノーベル賞授賞式で大隅良典教授の名前は「おおすみ」というより「うーすみ」とアナウンスされていた。「OOSUMI」の「OO」」を「Oolong Tea」などと同じ音で発音したのだろう。
 そういう点では実は日本で一番もとの音と違うのが中国人の名前だ。毛沢東は、文字表記は基本的に中国語と同じだろうが(大陸では簡体字だが)、読みは日本では「もうたくとう」と発音している。しかし実際の音は「マオズートン」といった感じの響きだ。日本人は漢字が読める分、かえって中国人には通じない発音となってしまう。皮肉なものだ。
 それに対して朝鮮人の名前は同様に漢字表記されていても、たとえば朴槿恵(パククネ)元大統領を「ぼくきんけい」とは読まない。これは報道上の協定のようで、韓国とは互いの原音に近く発音する取り決めになっており、中国とはそれができないらしい。中国にしてみれば、漢字で書かれたものを中国語にない読み方で読むことができないということだ。日本語がひらがな・カタカナという表音文字を手に入れたことのありがたさは計り知れない。
 個性尊重の教育の原点を示していると私が感じるのがゴダイゴというバンドの「ビューティフル・ネーム」という曲の歌詞だ。「名前、それは燃える命、ひとつの地球にひとりずつひとつ」(作詞:奈良橋陽子)。人間の活動がどんどん国を超え、言語を超えていく現在、名前ひとつを確定させるだけでも実は大変な作業なのだ。でも名前の後ろには大切な人間そのものがいるということを学校は忘れてはいけない。名前こそ存在だ。

 さてゲーテの言葉だが、
Wir sehen nur, was wir wissen.  我々は知っているものしか目に入らない
 まずは言語音の話の続きをする。生まれてから何年間かはどこの子供でも世界すべての言語音を受け入れる脳の働きがあると聞いたことがある。ところが成長するうちに自分の母語の音以外を聞き分けることができなくなる。日本語は世界の言語の中では音数が少ない方なので、外国語を聞き分けるのが苦手なのはそのせいだ。日本語にない音はある年齢を越えるとなかなか判別できなくなる。そういう能力的な側面がまずあるだろう。自分に馴染みのある物事だけしか人間は受け入れなくなるのだ。
 それ以上に精神の柔軟性の問題がある。
 白人しか目に入らない人。イスラム教しか目に入らない人。古い方法しか目に入らない人。トラブルの多くはここに原因がある。
 教師の世界にもこんな言い方がある。「教師は自分が受けてきた方法でしか授業をすることができない」そこに発展はない。知らないものに注目できる力。新たな方法を受け入れる力。そこにこそ未来がある。

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