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  • 2017.03.10

    ブログ「出たとこ勝負」特別編 石井校長 高等学校卒業式 式辞

    出たとこ勝負

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(挨拶部分は省略)
 2016年度は変化の1年間でした。この学校で言えば、新校舎への移転という何十年に一度という大仕事がありました。卒業生諸君も1年間過ごしてみて、いろいろな感想があると思いますが、とにかく新校舎がキミたちに間に合って良かった。この4月からは改築校舎もオープンします。卒業後になりますが、ぜひ見に来てください。
 さて、皆さんは大相撲を見ることはあるでしょうか。本場所中は毎日テレビでも放映されますが、取り組みが夕方6時には終わってしまうので、平日はなかなか見るチャンスはないかもしれません。私はけっこう相撲が好きで、たまにですが両国の国技館にも足を運び、観戦を楽しむことがあります。今年の1月の初場所では稀勢の里という大関が優勝して、あさって始まる3月の春場所から横綱になることはニュースなどで大きく取り上げられました。
 私も稀勢の里は好きな力士です。以前なかなか横綱にならない稀勢の里に「いい加減にしろ。いつまで大関やってんだ。」と国技館でヤジを飛ばしたら、周りのお客さんたちが私のヤジに拍手をしてくれました。ですから稀勢の里の活躍はもちろん嬉しいのですが、マスコミを中心とした「稀勢の里フィーバー」と言っても良いような今の状態にはいささか違和感があります。
 稀勢の里が優勝したり、横綱になったりするニュースでの中で、皆さんは「日本出身力士」「日本出身横綱」という言い方が使われていたのに気づきましたか?単純に「日本人横綱」と言わないのはなぜでしょう。わかりますよね。外国出身で日本国籍を取得している力士がいるからです。ハワイ出身で横綱になった曙や武蔵丸は日本に帰化しました。国籍という点では彼らも日本人横綱です。でもマスコミには「日本出身横綱」という言い方をわざわざ使ってまで伝えたい思いがあるようです。それは彼らを日本人だと認めたくないという感覚でしょう。でもそんなことを文化人として言うのは恥ずかしいという理性も一方にはあります。「日本出身横綱」とはそういう思いが入り混じった表現だと私には感じられます。生まれや人種が違う人たちとはなかなか共感できない、そういうとても根深い感覚がそこにはあります。
 相撲は国技だということで他のスポーツとは違うという思い入れもあるでしょう。横綱という一番上の位に日本出身者がいない、外国人ばかりが次々と横綱になっていくという現実に日本人としてのアイデンティティが傷つけられているかのような感覚もあったのかもしれません。
 相撲協会は実はずいぶん早くにグローバル化しました。最初の外国人力士である高見山がハワイから入門したのはもう53年も前のことです。マジメで愛嬌があり、たいへんに魅力的な人で、日本人力士以上に人気がありました。その上、強すぎないという長所も備えていました。しかし今では強すぎる外国人が番付の上位を独占するようになり、それが相撲ファンの気分に影響を与えるのは当然のことです。そういうわけでモンゴル人の白鵬や日馬富士などの横綱はそれぞれにファンはたくさんいるにせよ、彼らを自分たち日本人の仲間とは認めたくないという人たちも同時にたくさん生み出してしまったのです。それが「日本出身横綱」という回りくどい表現に反映されていると私は思います。

 さてそこで皆さんに質問です。皆さんは誰を自分の仲間だと感じますか。どこまでを自分の仲間だと思いますか。私にはこれからの世界はその答えによって進む方向が決まっていくような気がしています。

 突然話題を戻して、2016年度の変化についてですが、世界の動きという点ではイギリスのEUからの離脱とアメリカでトランプ新大統領が生まれたことの二つが大きくクローズアップされました。
この二つのできごとも誰を仲間だと思うのか、という切り口で見ると、根っこは同じだと読み解くことができます。
 イギリスではヨーロッパの他の国々の人たちや中東から入ってくる移民の人たちを仲間だと思えない国民が多くなったということでしょう。
 同じく、アメリカではメキシコ人やイスラム教徒を仲間だとは思わない人が国民の代表になったわけです。
 こういう反グローバリズムの動きを良いことだと言う人も、マズイことだと言う人もいます。一時的なものだという人も、本質的なものだという人もいます。もちろん私にも答えはわかりません。でも問うことはできます。あなたは誰を自分の仲間だと感じて生きていきますか。そういうことなのだと思います。そしてその裏には当然のことながら「あいつは仲間じゃない」という責任も背負うことになるのです。

 実は私は相撲だけではなく、バレエを見るのも好きで、アルザス成城学園に勤めていたころ、よくロンドンのロイヤルバレエを観に行っていたのですが、そのころそのバレエ団には熊川哲也と吉田都という日本人男女のバレエダンサーが最高位のプリンシパルとして活躍していました。あの頃のイギリスのバレエファンはアジア人がイギリス王室のバレエ団のトップにいることをどう感じていたのだろうかと知りたくなります。きっとEU離脱の方に投票した人には、あの二人がトップにいることを苦々しく思っていた人がたくさんいたのではないでしょうか。

 誰を仲間だと思うのか。どこまで仲間だと思えるのか。そういう意味で、EU・トランプ・稀勢の里は感覚的につながっているような気がします。
 これからの世界を生きる皆さんに、もう一度質問をします。誰を仲間として生きていきますか。家族はあなたの仲間ですか。クラスメイトはあなたの仲間ですか。成城学園の卒業生はあなたの仲間ですか。日本人はあなたの仲間ですか。中国人は?オランダ人は?エジプト人は?黒人は?ユダヤ教徒は仲間ですか?老人は仲間ですか?障害者は仲間ですか。言葉の通じない人を仲間だと思えますか。まだ会ったことのない人を仲間だと感じられますか。イギリスの国民投票もアメリカの大統領選挙も、そういうことが問われていたのではないでしょうか。
この問いに正解はありません。でも間違いはありうる。みんなが間違った時、差別が始まります。戦争がはじまります。
 いつか自分なりの答えを出さなくてはならない時がきっと来ると思います。それがどういう人間になるのかということです。生物学的に人間はホモ・サピエンス1種類しかいません。なぜならどの人種同士でも子孫を残すことができるからです。皆さんはホモ・サピエンスすべてを仲間だと思うことができますか。それとも仲間は誰もいないと感じますか。その二つを両極端として、自分がどの位置に立つのかを選ばざるをえない。そんな問いに直面する世界に皆さんは出ていくのです。そしてその世界を背負っていくのもあなたたちです。世界をよろしくお願いします。
(挨拶部分は省略)

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